ご挨拶
令和元年6月23日 定時総会にて会長を交代いたしました

「 一 ツ 松 」
過日6月2日、近江八景の一つ「唐崎の世雨」で有名な唐崎神社を訪れた。
ここには、舒明天皇5年(633)の頃に植えられたという霊松と崇められた、
いわゆる「唐崎の松」が、かつてあった。
織田信長の比叡山焼き討ち後、近江国志賀の支配を命じられ坂本城の城主と
なった明智光秀がここを訪れた時には、すでに霊松は枯れてなかった。光秀は
この霊松の姿がないことを嘆き危険を冒して浅井領に生えている一ツ松を奪って
霊松二代目として、唐崎に植栽した。そのときに詠んだとされるのが、
「われならで 誰かは植ゑむひとつ松 こころして吹け 志賀の浦かぜ」
(私でなければ誰がこの松を命を懸けてまで植えられようか、淡海の浜風も心
して吹いてくれ)という歌である。史実はどうであったかは判らないが「俺が
やらなきゃ誰がやる。」ということである。
人生には幾度かこんな場面に遭遇することがある。今がまさにそうである。
逃げず隠れず俺しか出来ぬ決断のもと会長を潔く引き受ける事に致しました。
激動の戦国時代を生き抜いた、そしてかつての所領での善政を行った名君と
して今なお慕われている明智光秀のようにはなれませんが、力の限り職務を
全うする心意気であります。皆さまの力が追い風となりますよう、そして
心して吹いていただきますようお願いする次第であります。
私が訪れた6月2日は、くしくも「本能寺の変」が起こった日であった。